ひとつの決断が次の決断のための材料にできて、初めて意味を持つ

決断とは意を決す事なのだと思います。昔の僕はできませんでした。当時の心ある師たちは「決断する勇気を持て!」と何度も僕に言い続けてくれたのだと思います。決断しないという決断もあったり、その場でウソついて人や周りのせいにしたり。あるいは人を責め自分をゴマかす・・・そのうち、ゴマかしたことすら忘れてしまう。こんな人が大量にいます。でもその人らにも5分の理があり、それが人の常なんだと最近思います。失敗したっていいじゃん。もし失敗したとしても、その決断を次の決断の材料にできて初めて決断が意味を持つ。そしていかなる結果を以ても、それを受け入れる勇気を持とう!最近そう思います。