しくじりブログ

いま思うと、

あの時、ああしとけばよかったなという内容をつづりました。

 

20代から、もう話してもいいかな。という話

リアルな「しくじり」を詰め込みました。

話を聞きたい方は、有料の個別面談を申し込んでください。

 

 

山田との面談チケット 1時間券

凡人の代表者が、20代から現在までのしくじりを綴りました。

 

たぶん、人生が豊かに なるヒントがたくさんあります。

貴方のビジネスに役に立てそうな項目

 

例えば

 

A、Dについて、くわしく聞かせて。

など、自分に役に立ちそうな項目をご指定頂ければ

深堀りしてお話しします。

 

対面希望の場合は、セサミ草加駅前か、セサミ南千住で。

遠方の方の場合は、ZOOMも対応しています。

 

対価にすると、100万円以上の節税価値がある話も多数あります。

 

お支払いは、クレカ払い、振込のいずれかが可能です。

お気軽にお誘いください。 

 

山田との面談 1時間券

¥22,000

A.20代 アパート受注営業で悩んだ話

かっこいいモデルルームで華々しく分譲や販売だと思ってたら

主に近郊農家を回る土地活用という営業(要はアパート建築受注)に就いた。

 

営業未経験の中途入社だったので、 同級生は先輩だったが、

電話のとり方ひとつとっても、あまりに大人に見えたのを

いまもよく覚えている・・。 

 

毎日、信金さんみたいに、

自転車に乗って、片っ端からリストの地主さんを訪問する日が続いた。

雨の日は靴の中が水浸しになって、靴が早くダメになったな。

 

初めての街、道もわからない、何をどう話していいか、まったくわからない。 

行き帰りの電車で、本を読み漁った。

営業マニュアルみたいな本、建築、節税とか。

アパートに関して勉強しまくった。

 

転職前までバンドにお金をつぎ込んでて、

お金があまりないから、複数の図書館で借りた(笑) 

街を覚えるため、休日には自宅からバイクで営業エリアに出向き

ぐるぐる回ってこともあった。

アパートを建てたら良い事ばかりだと、本で勉強したのに、

なぜか誰もアパートを建てたがらない。

何かがおかしい、なんでアパートを建てないんだ?

 

 山田「〇さんの、あの駐車場にアパート建てましょう」

地主「うちは、おたくに用はないからもう来なくていいよ」

 

名刺を受け取ってもらえない

ポイっと捨てられたり

運が悪いと、水をかけらたり

番犬に噛まれズボンがやぶけたり・・・ 

あの頃はまだスーツが高かったし、

スーツ買うお金も辛かったなあ。

 

外食店時代は黙ってても、じゃんじゃん客が来て、

客こないほうがいいと思ったり。

自分の給料がどこから払われてるのか?そんなことは考えた事なかった。

なんにも結果が出せてないのに、毎月25日には給料がもらえた。

それが給料泥棒みたいな、いやな気分だった。

 

 断られ続けてると、自分に自信がなくなってく。

人ってこうやって崩壊するかもしれないんだ、という経験もした。

「アパート建てましょう」という言葉が出しづらくなったり、

公園でボーっとして、やめちゃおうか・・・とか何度か思った。

 

しかし、このまま結果を出せず、数か月で逃げた男を、

雇ってくれる会社はまともだろうか?

とすれば、仮に結果は出なかったとしても、

自分にやれることはやりきっておかないと

転職もままならないし。

単なる雇われ店員として外食産業に戻りたくなかった。

そんな事、ぐるぐる考えてた。

犬も歩けば棒にあたるで、いつかその人に会えるだろう

辛いのは仕方ないんだ。

と思って根性で自転車で漕いでた。

どうにか、最初のご縁が頂けて、

契約書にハンコを頂いた夜、涙がとまらなかった。

 

ーーーー学び-----

たぶん人一倍行動していたが、

売る相手の気持ちを知らなすぎたなど

努力をする方向を間違えていた事はしくじりだった。

 

20代で学んだこの失敗(経験)を活かせ、

結果が出てない人の辛い気持ちがわかる事や

何個も書いてはボツになったアパートの間取りや設計は

今の投資の仕事にとても活かせているし

何より人生を切り開く「粘り強さ」につながった。

これは大きな財産となった。

 

20代では、下位グループだったと思うし

当時、輝いてる扱いを受けている人達を見て

正直ただうらやましかった。

しかし今では、

あの頃の延長線とはかけ離れた、

実りある人生を送れている。 

 

B.パン屋になろうとして辞めた話

「君みたいな、まともな人がうちに来るのはやめたほうがいい」

面接を受けに行った、パン屋の社長から頂いた

あまりにリアルな言葉だった。

 

20代の僕の仕事はまだまだのレベルだった。

宅建くらいしか資格もない、

カネもない、コネもない。

そんなお前に何ができる?

あまりにも的を得たアドバイスだった。

当時、厳しいと言われてた上司の言葉が胸に刺さってた。

(この方はすごい仕事ができる人で、

    僕が会社を辞める時も会いに行った)

 

しかし当時の僕は、あれこれ迷っていて

あの勢いに気後れしていた日々を過ごしていた。

 

別のことで一発あてる事を考えていた。

僕は、調理師免許を持ってるのは強みだ。

雇われの店員でなく、オーナーになれば

儲かるし、毎日楽しいだろう。

嫌な客が来たって、彼らの鼻持ちならない態度でさえ、

お金に見えるかもしれない。

これは飲食店経験者はわかりやすいだろうな(笑)

 

だから、コンビニ以外の小資本でできそうな

これから伸びそうな外食FC説明会に行った。

カレー屋、定食屋、ラーメン屋、蕎麦屋、パン屋、

休日には、外食FC店舗の下見で

1日4~5食食べに行ったこともあるが

パン屋以外、人生を賭ける程のめり込めそうにはなかった。

 

そうだ、

渋谷区のあのパン屋を真似られれば、

一発あたるに違いない。

(売れる商品は、地域によって違うことに後で気づいた)

渋谷はちょっと遠いから、

まず近いところから調べようと

日曜の新聞求人広告を見て

思い切って面接に行ってみた。

(新聞広告って時代を感じるね)

 

月給が、額面で15万円?

朝4~5時から、だいたい夜まで。

 

パン屋の開業資金は、2,000万~?

リトルマーメイドFCだと4,000万円もかかる?

 

え、社長・・・・。

パン屋ってどうやって独立するんですか?

思わず口からこぼれてしまった。

それで、冒頭の一文だ。

 

でも、パン屋やりたいなって、もんもんとしながら、

飛び込みで営業した個人パン屋さんのマスターにも聞いてみた。

 「中古の居抜きなら、1,000万で店が開ける時があったよ」

マスターは、政策公庫と奥さんの実家に頼んで開業資金を借りたそうだ。

 

おいおい、中古でもイッセンマンエンかよ・・・

 

僕が休みの日に、マスターのところで

ノーギャラで修行させてもらえないですか?

と聞いてみたら、手弁当を持参、朝5時に来てねとの事。

19時まで店やってるからね。

 

厳しい、厳しすぎる。・・・・

 

渋谷区のパン屋はここ以上に過酷だろう

当時珍しかった天然酵母パンだから

焼きまでに時間がかかる

さらに労働時間を投入するのは間違いない

 

20代だった僕は一発あてられないか?

と考えていたが、考えはまだ浅かった。

 

一儲けして、何がしたいの?

という具体的目標を定められず

ただこの場所から逃げたい的な発想もあった。

そんなことを考えながら、目の前の仕事を続けていた。

 

 

ーーー学びーーー

当時は、インターネット黎明期だ。

具体的に動かないとわからなかったことが多かったし

とにかく無駄な事が多かった。

 

パン屋の社長に言われた事で現実に目が覚めた。

そして、パン屋にならなかったことが、

不動産投資につながった。

これは間違いなく大きな財産だ。

 

地域にあった品ぞろえが大事だともわかった。

 

いずれにせよ、 

いつまでにどうなりたい?

それはなぜか? 

何がほしいのか?

ほしいお金はどのくらいか?

 

こういった具体的に目標の定め方を知らず

ただやみくもに走っていた。

努力はしていたが、努力する方向を間違えていた

手段が目標になってしまった、いい例だ。

 

今は、ネットでググれば、たいていのことはわかる。

しかし、一部の例外な人を除いては、

ネットだけでは事が足りないだろう、

 

やりたいことをやるには、志だけでも十分だが

学歴、留学歴、親の経済力とかで

自分の存在感をアピールする(しかないのかも)

秀才達が考えたであろう、つまんない事が

ルール化されてたりする。

 

そしてそのルールの意味を知ろうともせず

言われたとおりにやる人たちがいる。

 

 

僕は、東大京大慶応早稲田など一流大学で

大きな仕事がキャッチボールされてんだって

知る機会が何度かあった。

 

熱意やガッツだけではどうにもならない現実もある。

大きい組織ほど、学閥も差別もまだ存在している。

国際的に大国であるはずの日本人ですら

観光地外の街中に入れば、ひとくくりにアジア人枠で差別されやすい。

田舎に行けばさらに。だ。

僕はそれを体験する機会も多々あった。

 

だから、個の強さが大事だと。

 

そういう事を知るためには

僕みたいな、実践してきた人から聞くのが近道だろう。

良いアドバイザーと知り合えば、

きっといい気づきが得られるだろう。

 

 

 

これから作成します。

C、 パン屋になるよりパン屋が入ったビルオーナーになろう。スターツ元専務の話

  一流を目指す人の考え方を見れることは資産だ。アパート注文営業の同行営業で専務が一緒に来てくれた。

  H専務(当時)は僕に問いかけた。山田君ならパン屋として成功することができるかもしれないが、競争激しく確率も低い

  途中で近くにライバルができて風向きが変わるかもしれない。しかしパン屋が入ったビルのオーナーになれば・・・

  え、専務、僕もビルオーナーになれますか?

  やり方次第でなれると、大和銀行出身のあの専務が僕に言ってくれた。

  これが僕の人生を決める一言のひとつになった。

  ビルオーナーか・・いままで考えたこともなかったぞ。・

 (以降 有料面談へ)

D、早朝から晩までポスティング 月に2万枚超 電柱にビラ張ってマンション売ってた話

  人並みの行動しかしてなければ、人並みの結果しか出ない。

  行動の量を変えるか、質を上げるか? 教えてもらった。

  入社して何度も自己PR書いて、念願の売買仲介をやらせてもらえるようになってモーレツに動いていた。

  毎月300件回って門前払いが多く1件も仕事が取れないことが多いようなアパート注文建築営業とは違い

  お客さんがわざわざ来店してくれる。電話でいろいろ話してくれるなんて、にわかに信じられないことだった。

  必要とされてる喜びで有頂天になった僕は自分の限界に挑戦してみようと

  超ブラックな働き方をし、そして半年で1年分の目標をクリアし表彰してもらった 

 (以下 有料面談へ)

E、初めての競売入札、落札は750万、全くかすりもしなかった時の話

   平成13~14年頃だったか、競売はもうかると聞いて、西川口のマンションを入札した

   当時は短期賃借権がまだ残ってて、893占有屋がバンバンいた時代だ。占有屋とは2度会ったことがある。

   当時インターネットの三点セットなんてものはなくて、裁判所に行って資料を見るしかなかった。

   893みたいなおにいさんが、自分が入札しようとしてる物件の3点セットを持ち続けて離してくれなくて

   「その資料見せて頂けないですか?」というと、「ああん?あんちゃん、俺を誰だと思ってんの?」って脅された時代だ。

   落としても、占有屋が出てくるし競売妨害も横行していた時代だ。

   その西川口のマンションが250万から入札できるとわかって、清水の舞台から飛び降りるつもりで

   なけなしの300万で入札した。

   もしかしたら、僕のものになるかも! 

   夜もどきどきしてあまり寝れず、裁判所の開札場に恐る恐る聞きに行った。

   えー、次 事件番号 平成12年(ケ)〇〇号 ・・

   おおお、きたっ、僕が入札したやつだ

  (以下 有料面談へ)

F、ある中国人投資家の考え方 少しづつ10個買うに学んだ話

  買えないよ・・・投資物件ってどうやって買えばいいんだ?

  銀行にアパート買いたいと言えば、担保の土地ははどこにあるんですか?と言われた時代だ。

  ないから貸してくれって言ってんじゃん。と(むかつきつつ、一体どうやったら僕はアパートが買えるのか?

  当時の「夢ノート」を見ると、いろんなアイデアを書いていた。

  そうこうしてるうち、中国人投資家が現金で300万の区分1kを買ってくれた、

  彼は僕に話してくれた、「こういうのを10個買えば、月50万くらい収入になるアルよ」。

  「それを目指してるアルよ」と。 1棟ものをなんとか買おうとして玉砕し続けてた僕。

  そうか、その手があったか! 小さいのを10戸買うプランか。

  300万ならなんとかためられそうだ。その家賃収入に手を付けずに頭金貯めれば、3~4年でもう1戸買える

  銀行は金貸してくれないし、それを担保にして、アパートを買えるかもと考えた

  (以下、有料面談に続く)  

 

G、自分の中の「貧乏父さん」に気づきIクワドラント目指した話

  人生を変えた本、ロバートキヨサキの金持ち父さん貧乏父さんに出てくる貧乏父さんは

  僕の中にもいた。その存在を排除できたのは、独立して落ち着いてからだが、その存在に気づけたのは大きかった。

  とにかく Eクワドラントのラットレースから早く脱出し、高速トラックに移動する事

  気軽にやれるインベスターのクワドラントに行くことを願い、行動を始めたがとにかく時間がかかった。

  良いメンターがいればもっともっと早く到達できただろう。

  (以下 有料面談へ)

 

H、330万で初めての中古1K区分を購入した話

  平成15年、ようやく念願の投資物件を買った。

  ここから破竹の進撃が始まった。となればよかったのだが、次を買えるようになるまで我慢の日々が続いた。 

  バストイレ別にこだわっていたのも、買うことが遅れた原因だった。(ものがなかった)

  バストイレ同一物件はかなり安いものがあったが、普段の仕事で賃貸募集で苦労していたのを見ていたので

  予算もないくせに、なかなか買う気になる物件がなかった。

  ともかく、初めての不労所得に感動した。自分が働かなくても、寝てても飲んでても家賃が入ってくるという驚き。

  土地もってないけどオーナーになれた、オーナーっていいもんだね。

  (以下有料面談に続く)

I、クレームに追われたマネージャー時代の話

J、プロなのに収益物件の融資と銀行積算価格が分からなかった話

K、連合隊と健美家で探しまくった話(楽待はまだ存在してなかった)

L、転職か転籍? サブプライム、リーマンショックの頃の話

M、考え方のタガを外した、一枚の面談シートの話

N、資本金1,000万円のからっぽの会社を買って苦労した話

O、 面白いほど名簿が取れ、年362日働いて開業資金を貯めた方法の話

P、開業準備 封筒・名刺はどうすんの?大手社員は何も知らない話

Q、1本目の矢(土地探し)は外れ、2本目3本目の矢を放った話

R、時間>コスト。わかっちゃいるけど節約したい。口座残高がどんどん減っていく恐怖の話

S、開業2年目 はじめて会社で公庫融資を申し込んだ時の話

T、急に遺産が入った人の末路、リテラシー実力以上の資産は持てない話

U、ケアレスミスで150万の競売保証金を損しジンマシン発症。やけになってシドニーへ行った話

V、減価償却なくなった物件の節税を新規客に無料でしゃべって後悔した話

W、アイデアと時間を泥棒する人達(TAKER)から身を守るための話

X、公取(公正取引委員会)さん、こんにちは。の話

Y、人の大切さの話 社長としての視点

Z、あなただけへ送る、大切な話